定廣好和氏インタビュー(6)-シングリ山について
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造山古墳に関連する言い伝えの事項をインタビューを通じて掘り起こすプロジェクトを進めている。今回は、定廣好和氏に造山古墳群の榊山古墳に隣接しているシングリ山についてインタビューをした。
1.日時:2022.8.15.
2.場所:造山古墳前方部と地獄田の間
3.インタビュー :定廣好和 75歳
4.インタビューアー:角谷賢二 72歳
5.内容:
【地獄田の横道にて】
(1)私がこれから話すことは、明治20年12月の古い地図に昭和60年8月に西岡氏が調整している内容である。
(2)その中に一つの不審な古墳の跡が鉛筆書きされていた。これが私としては非常にショッキングであった。榊山古墳よりも東のほうにもう一つの古墳が書かれていた。
(3)ちょっと拡大しますと、元図には弧を描いた「残り」が書かれていた。これは、明らかに古墳の跡と思わざるを得ない。
(4)シングリ山を削平した土砂がすぐ近くの「池の中」という池を埋めたてるのに使われたと思うとつじつまが合う。
(5)今も地獄田のほうに出っ張りがある。しかし、長年の間に限り無く直線になるように削られている。
(6)シングリ山というのは屋号ではないと思う。
【シングリ山の南側に移動して畔の横にて】
(7)ここの畔は、円弧をなしている。
(7)一般論として古墳があったところの畔は、円弧をなしているところを削平してもそのまま残っている。人の力で丸くすることはない。すなわち、円弧を成しているところは、もともとあった畔として残っている。本来丸い畔で残すと農作業効率が悪いのでまっすぐにしたいところである。この家もブロックをついているところも直線にしたいところだが、実際は弧になっている。
(8)ここの畔が弧になっているということは、限りなく古墳があったということである。
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