toggle
2022-08-22

定廣好和氏インタビュー(7)- 樫グロについて

☞画像をクリックするとYouTubeビデオを見ることができます。

造山古墳に関連する言い伝えの事項をインタビューを通じて掘り起こすプロジェクトを進めている。今回は、定廣好和氏に新庄車塚古墳跡の近くの樫グロについてインタビューをした。
1.日時:2022.8.15.
2.場所:樫グロ
3.インタビュー  :定廣好和 75歳
4.インタビューアー:角谷賢二 72歳
5.内容:
(1)ここは、畔が円弧を描いている。それに付随して外回りが弧を描いている。かなりの幅広の周堤の跡ではないかと思われる地形が残っている。
(2)この辺りの地名としては、樫グロと呼んでいる。その意味としては、小高いところが残ったところである。「土」辺に丸とかいてクロという。たまたま土を盛ったところに樫の木が繁茂していた。ここに家がなかった時に、ここを呼称で樫グロと呼んでいた。
(3)私の小さい時、約6、70年前、家はなかった。造山古墳と樫グロのまん中あたりに西沼という大きな沼地があった。
(4)樫グロが削平された時期は分からない。樫グロは、新庄車塚古墳から200から300m離れたところにある。樫グロは尾根が山からのびてきて、それをうまく整形して整えられた。新庄車塚古墳も尾根を整形して古墳にしている。
(5)江戸の末期ごろから削平を徐々にしていったのが、新庄車塚古墳である。おそらく樫グロもそれに近い年代で削平されたのではないかと思う。
(6)その結果として、そのあたりの沼が田んぼとして姿を変えていった。
(7)このことは、私だけが言っている。

関連記事

コメントを残す