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2022-08-22

定廣好和氏インタビュ-(5)-地獄田について

 造山古墳に関連する言い伝えの事項をインタビューを通じて掘り起こすプロジェクトを進めている。今回は、定廣好和氏に造山古墳の前方部横の地獄田についてインタビューをした。
1.日時:2022.8.15.
2.場所:造山古墳前方部と地獄田の間
3.インタビュー  :定廣好和  75歳
4.インタビューアー:角谷賢二  72歳
5.内容:
(1)ここが地獄田である。造山古墳の一段目と反対側斜面の一段目が同じレベル(高さ)で続いていた。
(2)今のように工作機械がない時代に切り離した。ここは花崗岩土質でさらにところどころに「ほおくろ」と呼んでいる鉄錆のようなごげ茶色のスジがあった。これは今のスコップでも入らないようなたいへん固い土質であった。人の顔にあるほおくろに似ていることから「ほおくろ」の名前がついている。それが全部にあるのではなくスジであった。
(3)これがため、たいへん苦労して切り通しをした、たいへんむつかしい作業であった。このようにたいへんな作業から地獄田と呼んだと思う。
(4)我々が小さいときは、奴隷のようにこき使って死んだ人を埋めたんだという説もあったが、私はそうではないと思っている。
(5)その当時、鉄はあったと思う。鉄そのものをインゴットの状態で朝鮮半島から輸入していた。鉄の輸入には、山陰ルートと瀬戸内ルートの戦いがあったのではないかと思われる。鉄を通じた戦いがあって、吉備が瀬戸内ルートをしかけてそのおかげで繁栄した。
(6)地形的に周りをみると、西に向かって右が造山古墳前方部、左が小字にもなっている榊山、木の茂っているところが榊山古墳である。向こうに見える竹藪のところが高橋護氏が指摘した祭壇のあったところ、その向こうが方墳の第2号古墳である。目の前がシングリ山である。

 

 

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