安川満氏インタビュー(5)-造山古墳の倭王墓説について
インタビューについては、下記画像をクリックしてください。YouTubeビデオを見ることができます。
造山古墳に関連する言い伝えの事項をインタビューを通じて掘り起こすプロジェクトを進めている。今回は、安川満氏に造山古墳の倭王墓説についてインタビューを行った。
1.日時:2022.5.14.
2.場所:造山の定廣学氏自宅
3.インタビュー:安川満 54歳
定廣学 72歳
定廣好和 74歳
5.インタビューアー:角谷賢二 72歳
6.内容:
造山古墳が吉備の大王の墓ではなくて倭王墓であるという説を唱える研究者がこれまでに少なくとも3人はいる。そのうちの一人が高橋護(たかはしまもる)先生である。もう一人は、安川氏の大先輩である出宮徳尚(でみやとくひさ)先生である。出宮先生の「造山古墳被葬者考」という論文では、古事記、日本書紀は支配者側が書いた歴史書なので造山古墳のことは消された可能性がある。造山古墳は築造当時は日本最大の古墳なので吉備の王墓だけでなく、倭王墓に違いないという論法である。造山古墳を古く評価しようとする研究者に共通する論法である。
造山古墳の埴輪は、穴窯で焼かれた埴輪と野焼きの埴輪の2種類がある。そのうち野焼きの埴輪のほうがもともとの古墳に伴う埴輪であり、畿内の古市古墳群の仲津山古墳とほぼ同じ時期になる。そうだとすると造山古墳のほうが大きいので、造山古墳が倭王墓であるということになる。また、その研究者らはお堀の存在も肯定的に考えている。
一方、その説に反対する研究者は、たとえば西川宏先生、春成秀爾先生である。考えは限定的で、お堀の存在は否定的であったり、またあったとしても整ったお堀はなかったという意見を持っている。彼らは穴窯の埴輪もあるので時期は新しいのではないかと考えている。(安川)
倭王墓説が正しいとすると古墳の中に入れないかもしれませんね。(角谷)
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