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2022-10-01

西平孝史氏インタビュー(6)-直弧文レプリカ(2)- 白線と文様の説明-

☞画像をクリックするとYouTubeビデオを見ることができます。

今回は、千足古墳レプリカの周りに引かれた白線と文様の起源について西平孝史氏にインタビューを行った。
1.日時:2022.9.12.
2.場所:造山古墳ビジターセンター
3.インタビュー  :西平孝史 72歳
4.インタビューアー:角谷賢二 72歳
5.内容
(1)直弧文レプリカのまわりの白線は、石室の大きさを示している。その大きさは、2mx3mである。後ろ側が屍床部で木棺があった。
(2)埋葬する側の人達は、正面からひつぎが見えた。すなわち、直弧文は、埋葬する人達に見せるためのメッセージ、ボードであることがわかる。直弧文は、なきがらや、王様とか女王様の副葬品とは意味合いが違う。直弧文は、生きている人達に見せるためにある。
(3)直弧文の横には袖石がある。この袖石は、昭和30年、40年ころは石材が足りないから足したと新聞などの文書で残っていた。
(4)しかし、これだけ計画性を持って作ったもので、足りないから足したという安直な考えはおかしい。と言いますのは、2つの文様の中心は、袖石を入れてちょうど全体の中心になる。
(5)次におもしろいのは、2つの文様の間の2つの階段が上下逆になっている点である。すなわち、中心を境に線対称でひっくり返したように向かって文様を左から右に写していることがわかる。
(6)左の文様の大きさは24.5cmの正方形に近い形になっている。反転して逆転した右の文様は、25cmx26cmで、間伸びしている。向かって左の文様を上下逆にして反転して右に写すと、構図がぴったり合う。ただし、①大きさが間延びしているところと、②左の文様のある部分は尖っているが、右の文様の同じところは矩形になっているところが異なる。
(7)②の矩形になっているところに注目すると、この形のものが九州の福岡県の石人山古墳の直弧文と同じであった。さらに、そこはこれしか使っていない。
(8)結論的には、左の文様がベースになって右の文様が作られた。その右の文様が九州に渡って石人山古墳の直弧文が作られた。すなわち、この岡山にあった直弧文が基本になって、九州に渡って行ったと言う証拠がここに記録されている。

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