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2022-09-21

西平孝史氏インタビュー(5)-直弧文レプリカ(改1)- 直弧文の復刻の経緯-

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造山古墳に関連する言い伝えの事項をインタビューを通じて掘り起こすプロジェクトを進めている。今回は、千足古墳の直弧文の復刻に関する当時の様子について西平孝史氏にインタビューを行った。
1.日時:2022.9.12.
2.場所:造山古墳ビジターセンター
3.インタビュー  :西平孝史 72歳
4.インタビューアー:角谷賢二 72歳
5.内容
(1)直弧文のレプリカは、実物とまったく同じ大きさです。
(2)岡山大学の新納泉先生が3次元計測されて、「復元にはこれを使いなさい。」と言うこで、まったく同じ大きさに復元した。
(3)材料は、天草砂岩と言われる、いわゆる天草四郎がいたところの近くの石切り場の石をわざわざ瀬戸内海を通って運んできた。
(4)このレプリカは、実物とまったく同じもので時代が1600年違うだけである。
(5)私が彫らしてもらうことで、1600年の時空を超えて古墳時代の工人達とコラボできたのが一番良かった。
(6)機械ではなくて、手で彫った。文様を彫るだけは2ヶ月ほどでできたが、逆に文様を復元するのに半年かかった。
(7)復元するのには3次元データも使ったが、それと同時にいろいろな資料を使った。たとえば、拓本がある。昭和30年か40年ころに直弧文のすべてを拓本にしたのが一つだけ見つかった。その拓本は、彫刻家の先輩が直弧文に感動して、そして拓本にして持っていた。
(8)それからもう一つおもしろいのが、1913年ごろ和田千吉が、実際京都大学に残っているのですが、報告書として直弧文の写真を掲載していることである。
(9)その出版物の中の写真は、昔の本ですから活字の印刷より別にネガから起こした写真を糊づけして残っている。それが一番古い唯一の写真で、直弧文が一番壊れていない写真である。
(10)それは、京都大学の資料館に残っている。そのコピーを春成先生が持っていて、当時わざわざ持ってきていただいて資料にまとめた。
(11)和田千吉の写真を実際の大きさまで拡大して利用した。つぎに出てきたのが考古学の第一人者の梅原末治である。彼も写真を撮っていた。
(12)さらに、金谷哲郎は全面だけでなく、上面までも拓本にしていた。これと新納泉先生の3次元計測データがあったからこ実物大のそっくりのレプリカができた。
(13)この直弧文のレプリカはほんとうはすごく貴重なので、考古学の先生方の中には覆い屋根を作って大事にしろと言われたが、私は子供さんも含めて皆さんに触っていただくのが嬉しくて、ベンガラが色褪せるのだが、野ざらしにしている。

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