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2022-10-27

新納泉先生インタビュー(3)-造山古墳の 周濠、堤、陪塚について

☞画像をクリックするとYouTubeビデオを見ることができます。

岡山大学名誉教授の新納泉先生と蘇生会会長の定廣好和氏に造山古墳の周濠、堤、陪塚などについてインタビューを行った。これは新納先生の3つ目のビデオである。
1.日時:2022.10.11.
2.場所:造山古墳ビジターセンター
3.インタビュー  :新納 泉 70歳
           定廣好和 75歳
4.インタビューアー:角谷賢二 72歳
5.内容
(1)(角谷)引き続き明治20年の古図にそってお伺いする。周濠があったのは確実だが、堤の幅とか高さなどは分かっているのか?
(2)(新納)発掘調査で分かっているのは、濠の底から上がっていくところまでである。上の面はおさえられていないし、そこはもともと削られているので残っていない。そこから外側はどのくらいの高さまで堤があったのか、そして堤の幅がどのくらいあったのかわからないというしかない。ただ、外側の屈曲したラインは、何らかのものを反映しているだろうと思われるので、将来解明してもらいたいと思う。
(3)(角谷)耕地整理が進むと畔もわからなくなる。その前に調査が必要と思う。次に、新庄車塚古墳、第2古墳についてお聞きする。
(4)(新納)新庄車塚古墳は、私はぜんぜんわからないし、文字による記録、書物などは残っていないと思う。また、第2古墳については、岡山市の発掘の発掘が進んで、周りの構造がだんだんわかってきている。
(5)(角谷)シングリ山が古墳であったかもしれないという意見がある。この点は?
(6)(新納)場所としては、あったとしても不思議ではない場所だが、もしあったとすれば、何らかの形で発掘調査をすれば痕跡はでてくると思う。それは、将来の調査に委ねるということだろうと思う。造山古墳の全体像はそんなに10年20年で明らかになるというものではない。やっぱり100年くらいをかけて全体を明らかにしていくという長い展望が必要だと思う。シングリ山は、そういう流れの中で確認しなければいけない重要なひとつの手掛かりではあると思う。
(7)(新納)土地の整備する前に少しづつ明らかにすることが必要である。やっぱり、どんどん土地所有者も代替わりしていくので、そうすると新しい人になって地形をどんどん変えていくということが進む。そういう点では、100年先を見越していかに情報をきちっと残していくかということが非常に重要であると思う。
(9)(角谷)沼「池の中」について伺う。
(11)(定廣)榊山古墳の前方部、それと第4古墳の前方部は今はない。前方部に埋葬施設がないことがわかっていたので、池の埋め立てにこれらの土を使ったのではないか。池に近いところの古墳を削平して田んぼを作ったのではないか。私の推論ではあるが。
(12)(新納)いずれにしても池の部分は埋められているのだと思われるので、その土がどこからきているかということだと思う。いくら何でも、造山古墳本体を削ることはしないと思われるので、そうすると周辺部ということになる。今後、発掘調査をきっちりして確定させていくことが大切だと思う。

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コメント1件

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    Incredible quite a lot of good facts.

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