安川満氏インタビュー(7)ー造山古墳前方部の石棺の蓋について
インタビューについては、下記画像をクリックしてください。YouTubeビデオを見ることができます。
造山古墳に関連する言い伝えの事項をインタビューを通じて掘り起こすプロジェクトを進めている。今回は、安川満氏に造山古墳の前方部の上にある石棺の蓋について語っていただきました。
1.日時:2022.5.14.
2.場所:造山古墳前方部
3.インタビュー:安川満 54歳
4.インタビューアー:角谷賢二 72歳
5.内容:
(1)造山古墳前方部の荒神社の北側横にひっそりと石棺の蓋が置かれている。この蓋には直弧文の線刻があり、裏側には朱の赤が残っている。大正10年に国指定史跡になっている。
(2)この石棺の石蓋は、造山古墳前方部から出たとも、近くの車塚古墳から出たとも言われている。
(3)左側が石棺の小口の部分で、右に伸びており元は長方形であったが、真ん中あたりで割れている。
(4)非常にわかりにくいが、小口面には直弧文が刻まれている。
(5)中(下側)は、朱が塗られて赤くなっている。
(6)この石材は、馬門石(まかどいし)と呼ばれる阿蘇の溶結凝灰岩である。熊本県の宇土半島の付け根あたりから産出する。阿蘇山が噴火した時に熱泥流が流れて溶けて固まった石材である。
(7)一方、安山岩は溶岩がそのまま固まったもので、ガラス質でかつ緻密で硬い。この蓋の表面はザラザラしており、堆積岩状のスジがある。すなわちこの蓋は、安山岩ではなく、明らかに溶結凝灰岩である。
(8)溶結凝灰岩を熊本から運んできたのは、政治的な意味合いが強いのではないかと思う。
(9)当時大王の石棺には、兵庫県の竜山石がよく使われていた。九州以外で溶結凝灰岩が使われているのは、岡山県では小山古墳、築山古墳がある。機内では今城塚古墳がある。
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