西平孝史氏インタビュー(9)- 吉備の大王の像-
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今回は、西平孝史氏の制作した吉備の大王の像の制作についてインタビューを行った。
1.日時:2022.9.12.
2.場所:造山古墳ビジターセンター
3.インタビュー :西平孝史 72歳
4.インタビューアー:角谷賢二 72歳
5.内容
(1)まず小さい1/5の作品を作った。これは、古式豊かな古墳時代だろうと思われる服を着た作品であった。それを岡山大学の考古学の新納教授に見ていただいたら、「考古学的には説明できるが、見てみたいのは今まで見たことのないアーティストの作品を見たい。」とおっしゃられた。それでできたのがこの作品である。
(2)ここから先は新納先生に教えて頂いた情報をお伝えしたい。まず、この大王は刀を持っている。この刀は、日本刀のつばとは形が異なる。柄(つか)のところはL字型になっていて、日本刀とはここも全く違う。柄にちょうど手を置くことができる。両刃の剣(つるぎ)と片刃の刀(かたな)と両方あるが、これは片刃なので刀(かたな)である。埋葬されている多くは、剣(つるぎ)と刀(かたな)がワンセットになっていることが多いそうです。実際、制作に選んだのは、刀(かたな)である。
(3)ここから先は、西平のコンセプトである。刀とか剣(つるぎ)は人に向けるのではなくて、また戦いに使うのでもなくて、大地におろすという意味で平穏の願い、平和の願いの形を表してる。右横の棒は単なる棒であるが、錫杖(しゃくじょう)と呼ばれている。錫杖は、権威の象徴である。この杖、錫杖を持っている人が王様である。錫杖は、前に振りかざすのではなくて、後ろに控えるという意味で横に置いた。
(4)吉備の王国にまつわる人々を権威で指図するのではなくて、人徳で支配する意味で、私は背筋を凛とした形の作品を作り上げた。それがきっと造山古墳の後円部に眠っている。
(5)大王の像のおでこの上に矢印がある。これは、冠の象徴として作った。新納先生がおっしゃるのには、この当時は冠が埋蔵されているか否かの境目の時代である。ひょっとして実際に発掘して冠がでてきたら国内で一番初めの王様だったというしるしになる。そう言う意味で、私は吉備の王様にもしるしがいるだろうということで冠を作った。
(6)千足古墳の直弧文が同じ時期に作られたので、像の胸のあたりに直弧文を描いた。つまり、私の中では、直弧文を作らせた主は王様であろうと考えた。
(7)両腕について、私にしてみれば、想像することの楽しみとして、この像が「どうして手がないか?」を考えてもらいたいと考えた。逆に、もう少し幼い子供さんであれば、「手がどんな形であればつながるか?」を考えてもらいたい。たとえば、私が昔ガイドをしていた時に、子供が腕がない大王の像を見て、「温羅という鬼に食べられたのではないか。」と言った。この子供は、昔の神話の桃太郎と鬼の話と、吉備の王様の話とを連動して考えたのではないかという頭の柔らかさを感じた。
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