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2022-06-21

古代歴史文化遺産を活用した地域づくり- 定廣好和

古代歴史文化遺産を活用した地域づくり

造山古墳蘇生会会長 定廣好和

はじめに

 私たちが住んでいる高松地区(中学校区)は全国18番目の政令指定都市岡山市の中心から西北へ約20kmに位置し、庄内・鯉山・加茂の三小学校区から成っている。その中で加茂の戸数は1,300戸あまり、農業主体であり、後継者難、少子高齢化、人情味の希薄化等々の問題点を抱えている。現在の高齢化率は26%、元来、物静かな中にも人情味の厚い風土であった。

何とかならないものか

 加茂は昭和30(1955)年1月生石村と共に高松町(庄内)に合併、5年後真金(鯉山)も合併した。その高松も昭和46(1971)年1月に岡山市に合併され、いつしか巨大古墳の存在も地域では影が薄くなり、地域住民の興味や関心は失せていた。市文化財行政は「古墳は触らず、あるがままが文化財保護」の立場であり、先人たちが遺してくれた有数の観光資源が、このままでは埋没してしまうのではないかと、いささか不満に感じていた。この造山古墳をマニアだけのものではなく、多くの人々に聖地的な見学地として認められるような再生と、合わせて地域活性化のテコに出来ないものかと思案していた。

蘇生会と命名

 中鉄の路線バスが廃止になって長らく、旧山陽道の千足停留所跡の傍らに「造山古墳」と銘が入った石碑が放置されていた。昭和51年にライオンズクラブが建立したものである。当時としては、見学者の交通手段は路線バスしか無かったのである。乗降客の眼に触れる場所であったのであろう。後年、近くに古墳駐車場が整備されたが、何の飾り気も無いありふれた駐車場でしかなかった。平成20年4月古墳近くにアトリエを持つ彫刻家から「吉備の大王像」の永久貸与と駐車場への設置依頼の申し出があった。同じ頃、私は古墳本体の整備の必要性も感じていた。
 35年前から在りながら今では人目に触れることも無くなった石碑を、多くの見学者の眼に留まる場所に引き出し、そこに巨大古墳の盟主とおぼしき大王像が立てば記念撮影の場に供することにもなるし、明らかに話題性が増す。古代吉備の“まほろば”であった造山古墳へ、往時のように多くの人々が畏敬の念を持ち、集まって来ることを願い会の名称を蘇生会とした。

地域を目覚めさせる

 造山古墳のデジタル測量調査を平成18(2006)年3月より3カ年にわたり実施してきた岡山大学(考古学)新納 泉教授にお願いし、地域の関心を高めるために、平成20(2008)年7月調査報告会として講演をして頂いた。会場となった高松公民館側も驚く程の大勢の参加者であった。そのほとんどは高齢者であるが、あらためて潜在的な関心の高さを思い知ることになった。報告会開催に因って、この古墳に対する興味や関心を失いかけていた地域の人たちを、目覚めさせる結果になった。

語り継ぎを通じ世代間交流を

 私たちが小・中学生の頃までは、町内の長老や祖父母や両親から地域の伝聞や伝承話を聞いていたものであるが、私がその年齢になって振り返ると、その役目を果たしていないことに気が付いた。一世代も空けばみんな知らない話になってしまう。校外学習にやってくる多くの児童に対し、高齢者である我々が造山古墳や周辺の歴史文化遺産について語ることでふれあいの場、学びの場になる。我々には児童から元気の源を享受出来る。世代間交流である。
 報告会参加者の中から地域の歴史遺産を語り継いでもらうことが出来るかも知れないと、平成20年11月高松地区全域でボランティアガイド募集を始めた。平成21(2009)年2月より20名、全4回の講習を実施し、5月より本格的にガイド活動を開始した。平成22(2010)年も募集を行い、新たに16名が加入、合計36名になった。増員がスムーズに実現できたのは、蘇生会の活動に対する地域の認識や評判が高まったからであろう。
 平成21(2009)年(初年度)は、小・中学校6校309名、一般を含め計837名を案内したが、22年は6月現在、すでに小学校21校1,764名、一般を含め計2,261名を数えた。ガイドの存在が知られるにつれ見学者も増えてきた。予約制にしていたが、22年からは8月を除いて毎日曜日、待受けて見学者の案内要請に応じている。

イベントを開催

平成21(2009)年3月には念願の石碑移設も大王像も完工した。地域振興策としてイベントを開催することが有効と考え、4月、この地区としては初めて大掛かりな石碑・大王像の除幕式と古墳祭りの2部構成で開催した。岡山市長以下多くの来賓をお迎えし、地域住民も参加し、盛大に執り行うことが出来た。

ガイドマップを自主制作

従来の県・市の観光ガイドブックでは、造山古墳は申し訳程度の小さなスペースでしか取り上げられていなかったが、会員有志の熱意で造山古墳を主役に、平成21(2009)年5月ガイドマップ、22年6月案内パンフレットと自主制作、配布することが出来た。地域の人や見学者に斬新なものとして評価を頂いている。これにより活動年数は浅いものの蘇生会の存在は地域で高まった。

蘇生会が正式発足

 平成21年4月までの行事は蘇生会主催と名乗っていたが、多分に私的色彩が強かった。これを加茂学区全体の取組みとして位置づける必要があった。造山古墳にまつわる組織は以前2組織あったが、何れも限られた狭い範囲の人たちによる構成であり、老齢化が進むにつれいつしか有名無実となっていった。そこで加茂学区の全町内会長及び各種団体の長、そして高松地区全域から募集したボランティアガイドを核に、顧問も置き78名を会の役員とした。21年11月高松地区地域振興事業「第16回まほろば祭り」に、地域へのお披露目として初めて出展をした。祭り自体は内容的にいささかマンネリ化していたので、新鮮さと話題性を買われ出展を求められたのである。同じく11月高松中学校PTAから依頼を受け、「造山古墳にかける思いー何故、いま造山古墳なのか?」と題し、蘇生会が取組む地域づくりの理念を紹介し、究極は青少年の健全育成を目指していることを話した。

高齢者のいきがい

 ボランティアガイドには様々な知識レベルの人たちが集まっており、ガイド内容の均一化と固有知識の共有化を図るため、平成21年5月から自主勉強会を始めた。今も毎月行われている。また、他府県への視察研修ツアーを実施し、現地ガイドとの交流を図りながらガイド手法の習得もしている。21年9月奈良県大和、22年3月大阪府堺などを見学した。今後も年間2回程度を実施することにしている。また、著名な講師による定期講演を、高松公民館で開き、大変好評を博している。それは、身近な場所で、著名な講師の興味ある話が聞けるからである。概して、著名な講師の講演は市中心部の文化ホールやホテルなどで行われる。高齢者は聞きたくてもここからでは時間も掛るし足の便に困り、何よりも街へ出ることが億劫になっているのである。この様な自主勉強会、視察研修ツアー、定期講演会など話題の豊かさは高齢者にとり、楽しみや生きがいやワクワク感に繋がっている。顔を合わせての言葉のやり取りは生き生きサロンそのものである。

人と人とのネットワーク

 平成21(2009)年9月奈良県大和見学時、奈良県立橿原考古学研究所所長とご縁が出来、22年6月高松公民館へお招きし講演をして頂いた。また、岡山県陶芸同好会が縄文土器の野焼き場所を探している中で、ご縁が出来、古墳時代の埴輪も焼いて頂くことで、野焼きイベントとして共催することが出来た。22年8月には高松公民館で地域の児童や父兄の参加による、「土器・埴輪づくり」を共催、指導もして頂き、11月には持ち寄って野焼きを開催する予定である。また、ガイドマップ、案内パンフレットの制作に際し、各方面から写真画像等をお借りした。折衝を通じ、新たな人と人との出会いが始まっている。ガイド活動の中でも新たな出会いが生まれている。今までの経歴の範疇を超えて、新たな人との出会いは人間性を豊かにしてくれる。

結び

 蘇生会の活発な活動に触発され、高松地区の他団体も活性化してきた。趣向も新たに、高松城址保興会は蓮見会を開催、歴史を楽しむ会は講師を招聘して講習会開催、高松公民館も地域の歴史遺産を学習する主催講座(古代吉備探訪講座)を新しく設けた等々。蘇生会は内部志向にならず外部から多面的に情報を吸収し、それを地域の活性化に反映させ、地域で影響を及ぼし続けるような活動をしていかなければと思う。

 平成21年(2009)から毎年3月、地元加茂小学校6年生と蘇生会は高松地区環境衛生協議会を巻き込み造山古墳周辺の清掃奉仕活動をしている。終了したら児童はボランティアガイドと造山古墳に登り、ガイドの説明を聞かせてもらう。地域の自慢であり、誇れる造山古墳を媒体に、校外学習におけるガイド協力を通じ、郷土愛や誇り意識に目覚めさせ、その結果、青少年の健全育成の一助になればと念じている。

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コメント4件

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