定廣学氏インタビュー(1)-所蔵の円筒埴輪について
インタビューについては下記画像をクリックしてください。YouTubeビデオを見ることができます。
造山古墳に関連する言い伝えの事項をインタビューを通じて掘り起こすプロジェクトを進めている。今回は、定廣学氏に所蔵の円筒埴輪についてインタビューを行い、安川満氏に解説していただいた。
1.日時:2022.5.14.
2.場所:造山の定廣学氏自宅
3.インタビュー:定廣学 72歳
4.解説:安川満氏 定廣好和氏
5.インタビューアー:角谷賢二
6.内容:
(1)定廣学氏所蔵の円筒埴輪は、お爺さんの時代からあった。ひい爺さんの時代に発掘したかもらったものかのどちらかである。
(2)家ではこの埴輪を火鉢として使っていた。
(3)定廣学氏の時代に中の灰と墨をきれいに取り除いて納屋の片隅に保存していた。
(4)定廣学氏の家は、初代が養子で明治元年ころから始まった。この埴輪を発掘したのは、初代の明治時代であろう。すなわち、私の四代前に埴輪を取得した。
(5)どこで発掘したか現在までまったく分からない。
(6)岡山市教育委員会文化財課の安川満氏に即興で解説をお願いした。
(7)造山古墳とその周辺の古墳の埴輪は、最近だいぶ分かってきた。それぞれちょっとづつ特徴が違っている。
(8)この埴輪は、造山古墳のものに比較して直径がやや小さい。
(9)造山古墳の埴輪は段数が7段であるが、今回の埴輪は直径が小さくて4段で、中型か小型の埴輪である。
(10)この埴輪には横のスジが見えているが、これは板(工具)で調整しているハケメである。このスジは、木目の痕跡である。
(11)造山古墳のハケメは何周も整えているのでスジが重なっている。それがこの埴輪は幅の広い工具で1回で整えている。
(12)この埴輪には、縦方向のスジが微妙に見える。これは制作時工具を止めているためである。また、これは1段で回している。BC種ヨコハケである。
(13)このことからいえば、造山古墳の埴輪より若干新しい時期の埴輪といえる。
(14)第一突帯は上の面が平らになっている。第二突帯は指でなでている。
(15)突帯の形状から作り方が分かる。これから予測すると、この埴輪は造山古墳の埴輪より新しいことが分かる。
(16)作山古墳の埴輪には、これと同じ特徴がある。ということは、作山古墳と同じ時期といえる。
(17)造山古墳の周辺で言えば、2号墳の埴輪に類似している。
(18)岡山県立博物館にある伝榊山古墳出土の埴輪は、2号墳の埴輪にまったく類似している。
(19)岡山県立博物館の埴輪とこの埴輪は、ほぼ一致する。ただ、県立博物館の埴輪は、2号墳のものとあまりにも同じ過ぎる。
(20)定廣学氏所有の埴輪は、2号墳の埴輪と1号墳の埴輪の両方の可能性がある。
(21)定廣学氏は、榊山古墳の周りの土地を所有しているので、この埴輪は榊山古墳からの出土の可能性が高いと思う。(角谷意見)
(22)榊山古墳の円筒埴輪の資料は多くないので、これが榊山古墳の埴輪と確定できれば、一つの大きな資料になる。
(23)さらに、これが榊山古墳の埴輪に確定できれば、榊山古墳は2号墳と同じ時期に作られたことになる。
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